古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会) ご挨拶 

会長 田中 巌

 ようこそ、当ページへアクセス頂き有り難うございます。
 私たち、古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会)は、日本の古代史をより正しく理解したいとの思いから、故古田武彦氏の講演・著作におおむね賛同した者たちが集まり、研究、学習、見学などを自主的に行っている会です。
 当会は1982(昭和57)年に、故古田武彦氏の講演会や氏が同行する旅行参加者たちによって結成され、2017(平成29)年で満35年になりました。
 氏の説かれる「卑弥呼の治めた国は邪馬台国ではなく、邪馬壹国だった」、「神話とされる天孫降臨は史実を反映したもの」、「倭の五王は九州にあった倭国の大王たちだった」、「『日出る処の天子』書簡をしたためたのは多利思北孤(たりしほこ)という九州にあった倭国の天子で、推古天皇や聖徳太子ではなかった」などなどは、通説・常識とされている古代史とは一線を画した、真実に迫る古代史です。もちろん教科書では教えていません。
 氏のこれらの説に対して、なぜそう言えるのかという論証・実証を学び、現地見学をする、また、氏の論証・実証を補う資料の発見・地方史発掘や古代伝承の掘り起こしなどを、氏と共に研究する市民の歴史愛好家、古代史ファンをはじめ、通説に疑問を抱く研究者・専門家などが幅広く結集しています。

 会では、会報「東京古田会ニュース」を発行(年6回)し、月1回の月例会(毎月の最終土曜日13:00~17:00)、月1回の研究会(毎月第2土曜日13:00~17:00)、年数回の研究旅行・講演会などを実施しています。月例会は3部構成で@古田説に基づく研究発表・課題項目の学習討論、A古田氏著作の読書会、B古典学習(現在は日本書紀)などを実施しています。
 月例会、研究会は原則として東京都中央区の公民などで開催し、会の終了後は居酒屋などで任意参加の懇親会が定例化し、たいへん楽しい会になっております。会員以外の見学も歓迎していますので、ぜひお出でください。

 当会の生みの親である古田武彦氏は、2015(平成27)年10月14日享年89歳で他界されました。また、約23年間、会長として尽力された藤沢徹氏も後を追う様に、翌2016年4月84歳で他界されました。会ではその名称を検討しましたが「古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会)」のまま継続することとし、古田説の究明、普及に取り組んで参ります。
会に参加して日も浅い私が、前会長急逝の後を受け継ぐこととなりましたが、会内外の皆さま方の期待に応えられる様微力を尽くして参りますので、ご協力の程、よろしくお願い申しあげます。

 故古田武彦氏が『「邪馬台国」はなかった』(朝日新聞社刊)を発表した1971(昭和46)年から46年が経過しましたが、古田説に対する正面からの反論、批判は歴史学界から出ておらず、だんまりを決め込まれたままです。
 しかし、ミネルヴァ書房で復刻された「古田武彦古代史コレクション」は第1巻から第25巻まで刊行され、全国の図書館に置かれるなど、古田説は古代史ファンなどに広がりを見せております。
私たちは、古田説に凝り固まった信徒集団ではなく、古田氏が提唱された方法論に従って歴史研究を行い、より真実に近い古代史を追究したいと考え、研究、学習に励み、歴史談義を楽しんでおります。
 古代史に興味をもち、歴史談義・懇親に参加を希望される方を歓迎しますので、どうぞお気軽においで下さい。お待ちしております。

2017(平成29)年5月


                                             [会の生い立ちについては、前任の藤沢徹会長の挨拶文を以下に、抜粋、引用させて頂きます。]
 古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会)の生い立ちと現状をお知らせしましょう。
 昭和46年(1971)というと、大阪万博も終り、知的好奇心に満ちた熟年者の間に歴史(古代史)ブームが起っていました。そのとき、古田武彦氏の『「邪馬台国」はなかった』が朝日新聞社から発刊され、学界、古代史研究家の間に衝撃が走りました。有楽町のマリオンで連続古代史ゼミナールが開催されたのはそれからです。
 昭和49年11月、その席上で、著名な評論家で日本書紀の口語訳を発刊した山田宗睦氏が、邪馬台国大和説から古田武彦説へ転向を表明しました。
 「文献批判に限っていえば、古田さんのやり方はほとんど完璧です。納得するに足るような反論が出てこない限り、わたしはやはり古田説に従わざるを得ないのであって邪馬壹国というのは博多辺にあった。したがって、女王・卑弥呼もそこにおったと考えざるを得ません」(「続・日本古代史の謎」昭和50年5月朝日新聞社刊より)。
 しかし既存の古代史学界からは山田氏のような声は上がりませんでした。認めたら定説がふっとび、学者の権威がなくなるからです。抵抗するか、無視するかでした。一方、しがらみに縛られない社会科学や自然科学の学者からは、支持者が増えました。
 タイミングよく、朝日新聞事業部の竹野恵三さんが独立して「朝日トラベル」を設立。「古田武彦と行く○○の旅」を次々と企画、実施したところ、多くの古田フアンが生れました。
 古田武彦の説は筋が通っている。文章は魅力的だし、話は熱がこもっていて分かりやすい。そう感ずる同志が集まり、京都から東京の自宅にお呼びして(橋本崇氏など)古田武彦を囲む会ができてきました。昭和51年の頃です。
 世話人のおかげで東京で、旅行に続き講演会も開かれ、会の揺籃期の数年を過ごし、「古田武彦と古代史を研究する会」(略称東京古田会)の会則が整備され会が正式に発足したのは昭和57年(1982)でした。  平成24年(2012)には創立30周年を迎えることになり、記念講演会が朝日ホールで催行され、続いてホテルで祝賀パーティーが行われました。古田先生の歴史学を支持する人々の間に、いろいろな会、たとえば関西に「市民の古代」その後古田史学の会、東京に多元的古代史研究会などが生れ、紆余曲折を経て今日に至っています。
 その中で一番古いのは当会です。初代会長は西谷日出夫氏(昭57〜59)、二代目山本真之助氏(昭59〜平5)、三代目藤沢徹(平5〜現在)。事務局長は、竹野恵三、鈴木正勝、田島芳郎、高木博、平田博義、橘高修と代々続いています。
 最初、会報はガリ版刷りでしたが、昭和60年から印刷年4回発行となり現在は隔月発行となっています。1992年には十周年記念論文集を発刊しました。東京古田会編「神武歌謡は生きかえった」新泉社刊です。この中で古田先生は、神武東征出発地を宮崎県日向(ひゅうが)から福岡県筑紫の日向(ひむか)に変えました。古田史学研究者にとっての画期的論文です。
 さらに、首都圏の人の目に留まらない地方新聞での古田先生の論文を集めてきて本をつくりました。「まぼろしの祝詞誕生」古田武彦著1988年新泉社刊です(2003年新版)。京都新聞での古田・三木論争を当会が編集し、古田説への反論の典型を紹介しています。
 古田先生が昭和薬科大学教授として東京にいたころ、定期的に講演会を開きました。1992年の講演会記録は、「開かれた多元史観の道」の題で小冊子にまとめ翌年当会から出版しました。定年退職後、先生は京都に在住されていました。
 当会が古田先生への質問を募集したところ、何百と集まりました。12のグループの131の質問に分類してまとめ、それぞれ古田先生に答えてもらいました。2004年から2年かけて幹事が作業しました。これが、2006年東京古田会編集発行『古田武彦と「百問百答」』です。手前味噌ですが、親鸞研究を含む古田史学の神髄がわかる名著です。2015年4月に内容を一新してミネルヴァ書房より古田武彦歴史への探求5「古田武彦の百問百答」として発刊されました。
 当会が編集した「歴史への探求シリーズ」は第5巻まですでにミネルヴァ書房から出版されています。
 2013年「俾弥呼の真実」「史料批判のまなざし」「現代を読み解く歴史観」
 2014年「古田武彦が語る多元史観」2015年「古田武彦の古代史百問百答」
 このシリーズでは古代史の枠を広げ、政治、宗教、哲学、文学などへ広く思索が及んでいて古田思想の全貌がつかめます。
 東京古田会ニュースは、昭和60年(1985)に印刷第1号を発行され、平成27年(2015)11月現在で165号が隔月発行されています。会員は他者を誹謗中傷しない限り、紙面の範囲内で論文を載せられます。
 会では毎月月末土曜日午後1時から、原則中央区堀留区民館(場所が取れないときは、予め通知します)で研究会を開いています。会員は誰でも参加できます。会員の自由研究の発表、古田先生の論文、日本書紀を読んでいます。
 抑々、1992年に古田先生主催の「共同研究会」で大化改新の研究を行い、oldとnewライン(九州王朝から近畿王朝へ)は701年だという結論に達しました。そのときからの研究会です。
古代史の初歩者でも興味があれば参加ご自由です。歴女もいらっしゃいます。
 会では春秋に研修旅行を開催しています。(以下中略)会則に定めているように、総会を年度初め(5月)に開いて、会長など事務局幹事を選任しています。
 日本の古代史に興味のある方は入会しませんか。詳しくはこのホームページを見てください。
平成27年(2015)11月(前藤沢会長挨拶文抜粋)