2017年 8月12日(土)の記紀歌謡万葉集研究会の報告 

 
◆第 12回 記紀歌謡万葉集研究会 
  平成29年 8月12日(土)午後 1時~3時 於人形町区民館 
 座長 橋本正浩 文責 長尾誠 
 出席 1 2 名 
 


1.日本書紀で読み残した歌謡を終え、従前の進め方に戻り取り組んだ。

①最初に、忍熊王に関連する詩で、古事記の第三十九番と日本書紀の第二十六番、第二十七番、第二十八番、第二十九番に入っていった。

・古事記第三十九番「忍熊王が追い攻められ、船でウミに出て詠った」
 従来の読み:いさ吾君(あぎ) 振熊(ふるくま)が 痛手負(お)はずは
       鳰鳥(にほどり)の 淡海(あふみ)の湖(うみ)に 潜(かず)きせなわ

 担当者が詩の読みと説明をした後、橋本氏が次の読み・解説をされた。
    読み:いさ吾君(あぎ) 振熊(ふるくま)が 射たて負はずは 鳰鳥(にほどり)の
       近江(あふみ)の海に 潜(かづ)き為(せ)なわ

 解説:従来の「振熊が痛手負うはず」は間違い。この「が」は所属を表す助詞なので「振熊が痛手を負ってしまう」ことになります。「いたて」は「射たて」で振熊に弓矢で追い立てられる状況を詠っています。即ち「振熊による射たて」を「負わないで」。

・続いて、日本書紀第二十六番について、橋本氏が従来読みとつぎの解釈をされた。
 従来の読み:彼方(をちかた)の あらら松原 松原に 渡り行きて
       槻弓(つくゆみ)に まり矢を副(たぐ)へ 貴人(うまひと)は
       貴人どちや 親友(いとこ)はも 親友どち いざ闘(あ)はな 我は
       たまきはる 内(うち)の朝臣(あそ)が 腹内(はらぬち)は
       小石(いさご)あれや いざ闘はな 我は

橋本氏の読みと解説。
    読み:遠方(をちかた)の 粗(あら)ら松原 松原に 渡りゆきて
         槻(つく)弓に 丸(まり)矢を類(たぐ)へ 大将(うまひと)は
       大将どちや 仲間(いとこ)はも 仲間どち いざ会はな われは
       手(た)巻き張る 内の吾兄(あそ)が腹内(はらぬち)は
       砂(いさご)在れや いざ会はな われは

 解説:マリヤヲタグヘはマリヤは鏑矢の事ではない。戦う意思がないことをアピールしている表現。ウマヒトは「尊い人」で、この場合敵の大将。武内宿祢(あるいは振熊か)。 タマキハルは腕飾りを着けている意から「立派な」。「はる」は「威勢など見せる」。 アソは吾兄でこの場合は「大将は忍熊王」。 ハラヌチはイサゴアレヤは情けの無い人ではないという意味。

次に、日本書紀第二十七番 「忍熊王が五十茅宿禰に呼びかけた詩」
 従来の読み:いざ吾君(あぎ) 五十茅(いさち)宿祢 たまきはる
      内の朝臣(あそ)が頭槌(くぶつち)の痛手(いたて)負はずば
      鳰鳥(にほどり)の 潜(かづき)せな

  担当者が説明した後、橋本氏が次の説明をされた。
    読み:いざ吾君(あぎ) いさち宿祢 手巻き張る 内の吾兄(あそ)が
 頭椎(くぶつち)の 痛手負はずは 贄(にへ)鳥の 潜(かづ)きせな
 解説:この詩の「内のあそ」は前の詩「おちかたの」の中で自軍の熊凝が忍熊王の事を「内のあそ」と詠っているのを受けている。    原文は 「 ニヘドリ:贄(ニヘ)鳥」は見当たらない。 鳰鳥(ニ(ミ)ホドリ)と同義なのであろうか。

次に、日本書紀第二十八番「忍熊王と五十茅宿禰が瀬田の渡しで沈んで死んだときの武内宿禰の詩」
 従来の読み:淡海(あわみ)の海(み) 瀬田の済(わたり)に 潜(かづ)く鳥目にし見えねば 憤(いきどほろ)しも
 について、橋本氏が次の読みと解釈をされた
    読み:近江の海(み) 瀬田の渡りに 潜(かづ)く鳥 目にし見えねば
    息問(ど)へろしも
 解説:「潜ってしまった鳥」は忍熊王達。 イキドヘロは息(イキ)、訪ふ(トフ)の命令形で訪へ+ロ(終助詞 よ の上代東国方言・強意)。
従来は「倍・へ」を「ほ」と読んでいるが間違い。

・続いて、日本書紀第二十九番の「忍熊王たちの遺体が上がった時に、武内宿禰が詠った詩」
従来の読み:淡海の海 瀬田の済(わたり)に 潜(かづ)く鳥 田上過ぎて
       莬道(うぢ)に捕えつ
橋本氏が次の読みと解説をされた。
    読み: 近江の海(み) 瀬田の渡りに 潜(かづ)く鳥 田上(たなかみ)過ぎて
宇治に捕えつ
 解説:潜ってしまった鳥は、忍熊王と五十狭茅宿祢のこと

②次に、古事記の第四十番「息長帯日賣が太子を迎えて待ち酒を差し上げた時の詩」に入った。これも、日本書紀第三十番と、比較検討し読んでいった。担当者はよく事前準備をし、また、古事記、日本書紀の歌謡の索引を簡便にできる一覧表を全員に配布した。
・古事記第四十番  従来読み:この御酒は 我が御酒ならず 酒(くし)の司(かみ)
       常世に坐(いま)す 石(いは)立たす 少名御神(すくなみかみ)の
       神寿(かむほ)き 寿(ほ)き狂ほし 豊寿(ほ)き
       寿(ほ)き廻(もとほ)し 獻(まつ)り來(こ)し御酒ぞ
       乾(あ)さず食(を)せ ささ

橋本氏の読みと解説
    読み:この御酒は 我が御酒ならず 奇(く)しの神(かみ) 常世に居ます
    岩立たす 少名御神の 神祝(かむほ)き 祝(ほ)き狂(くる)ほし
    豊祝(ほ)き 祝(ほ)き廻(もとほ)し 奉(まつ)り來(こ)し
    御酒ぞ 余(あさ)ず 食(を)せ ささ
 解説:少名御神を酒の司としている従来解説は誤り。
ここは「奇(く)しの神・霊妙な神」。イハタタスは岩が立つで、「そびえ立つ」
「偉大な」。

・日本書紀第三十番「皇太后が杯をあげて太子を寿いで」
従来の読み:此の御酒は 吾御酒ならず 神酒(くし)の司(かみ)
      常世に坐(いま)す いはたたす 少御神(すくなみかみ)の
      豊寿(とよほ)き 寿(ほ)き廻(もと)ほし 神寿(かむほ)き
      寿(ほ)き 狂(くる)ほし 奉(まつ)り來(こ)し御酒そ
      あさず飲(を)せ ささ
橋本氏の読みと解説
    読み:この御酒は 我が御酒ならず 奇(く)しの神 常世に居ます 磐立たす
    少御神(すくなみかみ)の 豊祝(とよほ)き 祝(ほ)き本経(もとへ)し
    神(かむ)祝(ほ)き 祝(ほ)き狂(くる)ほし 奉(まつ)りこし御酒そ
    余(あ)さず飲(を)せ ささ

③古事記の第四十一番「武内宿禰が皇子に代わって詠って」に入った。これも日本書紀第三十一番と比較しながら読んだ。
・古事記第四十一番
従来の読み:この御酒を 醸(か)みけむ人は その鼓(つづみ)
      臼(うす)に立てて 歌ひつつ 醸(か)みけれかも 舞ひつつ
      醸みけれかも この御酒の あやにうた楽し ささ
  橋本氏の読みと解説
    読み:この御酒を 醸(か)みけむ人は その鼓(つづみ) 臼に立てて 歌ひつつ
    醸みけれかも 舞ひつつ 醸みけれかも この御酒の 御酒の
    あやにうた楽(だぬ)し ささ
 解説:「その鼓 臼に立てて」は「なにか鼓のように 臼を叩いて」。
「に」は「~を用いて」。「たてて」は下二段活用の「立つ」の連用形+接続助詞「て」で「(音を)響かせて」。

     ・日本書紀第三十一
 従来の読み:此の御酒を 醸(か)みけむ人は その鼓 臼に立てて 歌ひつつ 醸みけめかも 此の御酒の あやに うた楽しさ さ
 橋本氏の読みと解説
    読み:この神酒を 醸(か)みけむ人は その鼓 臼に立てて 歌ひつつ
     醸(か)みけめかも この神酒の あやに 歌楽(うただぬ)しさ さ
 解説:古事記の詩は「舞いつつ」が挿入されているが、これは古事記の編者の創作の可能性がある。臼で精米している時に踊っては作業ができない。亦、醸もしている時 に「踊っている」としても、「醸もす」期間は何日もかかるので踊り続けることは考えられません。


2.次回の予定  次は古事記の第四十二番、日本書紀の第三十二から研究する。
 9月 9日(土) 13:00~15:00 場所 人形町区民館
以上